Archive for the ‘礼拝’ Category

2010年3月7日礼拝説教 ルカ1:22~34

土曜日, 3月 13th, 2010

メッセージ要旨

 

 私たちは人生で様々な挫折・失敗を味わいます。そんなとき、人は自分の無力さ、弱さ、あるいは卑怯さ、醜さを見せつけられます。そして、すっかり自信を喪失して、生きる気力さえなくしてしまうときがあります。

 キリストの12弟子という人たちは、イエス様が捕らえられるまでは、死んでもこの方について行こうと思っていたに違いません。しかし、それは本当の試練にあったことが無いための無知から来る自信でした。実際に神の子・救世主と信じていた方があっさりと捕らえられ、十字架にかけられるという事態になったとき、この弟子たちは自分の身を守るためにイエス様を見捨て、逃げてしまったのです。勇気をふるって逮捕されたイエス様の後をこっそりついて行ったペテロも自分の身が危うくなると三度もイエスなんて知らないと言い張ったのです。

 悪名高いイスカリオテのユダは、わずか銀貨30枚(当時の120日分の収入に相当)でイエス様を裏切り、ユダヤ人の宗教指導者による逮捕を手助けします。お金が欲しかったというよりも、いつまでたってもこの世の王として力をふるう様子がないイエス様に失望し、逮捕によって追い詰め、王として真の力を見せてローマからユダヤを解放せざるを得ない状況を造りたいと願ったのかもしれません。しかし、力をふるうことなくおとなしく逮捕され連行されたイエス様を見て、ユダは激しい自責の念に駆られ、首をくくって自殺してしまいます。

 一方ペテロも、イエスなんて知らない、と言ったときにイエス様と目が合い、激しい自責の念に駆られて泣きます。しかし、ペテロは自ら命を絶つことはしませんでした。裏切ったという点では、ユダだけでなく、ペテロもそのほかの弟子も同じでしょう。イエス様は、「しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います」(マタイ 10:33)とおっしゃったことがあります。しかし、だからといってペテロのことを捨て去りはしませんでした。それどころか、ペテロを赦し、「立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」と言ってくださったのです。

 弟子たちはみな挫折を味わいました。自分の弱さ、意気地のなさ、醜さを痛感させられました。もう自分をすっかりあきらめてしまいたくなりました。しかし、そんな弟子たちをイエス様はあきらめませんでした。見捨てませんでした。むしろ、挫折を味わい、赦しを味わった彼らこそ、苦しみの中にいる人を助けることができるようになった者として期待されたのです。

 私たちは、ユダのように自ら神様のあわれみを拒絶する者になってはいけません。神のあわれみ、赦しは、それほど広く、深いのです。 このことを覚えていてください。私たちは、決して自分に嫌気がさしても、絶望してはなりません。神は決して私たちを見捨てないからです。そして、そのあり得ないような恵みを可能にしたのがイエス様の十字架なのです。イエス様が私たちの弱さ、醜さをすべて負って十字架にかかってくださったからこそ、私たちがどんなに失敗しても、もう一度立ち上がることができるのです。神は決して私たちを見捨てないのですから。

与えられたものを生かして ルカ 19:11-27 マタイ 25:14-30

日曜日, 2月 28th, 2010

人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっています(ヘブル 9:27)。私たちを造ってくださった天の父は、私たちに二つのことを願っておられます。一つは、間違いなく天国で父と過ごせるように天国行きの切符を手に入れることです。私たちは神のあわれみにすがる以外天国に行けません。私たちが自分を知れば知るほどそのことが明らかになります。天国の切符を手に入れるのは聖人になるとか、善行を積むことによってではありません。自分の罪深さ(自己中心)を知り、その罪を背負ってくださったイエスキリストの十字架による救いを受け入れることによってです。私たちを愛してやまない天の父は、この救いから一人も漏れて欲しくないのです。

天の父が私たちに願われているもう一つのことは、父が与えてくださったものを私たちが生かして使うことです。私たちは皆いのちをいただいおり、様々な天の父からの恵みによって生かされています。才能、財産、健康、家族、家庭環境、国、時代などは人によって異なるものが与えられています。天の父はこれらのものを私たちがどのように使うかを興味深く見守っておられます。せっかく生を受けてこの世に送り出されたのに、自分のことだけを考えて自己中心の一生を送ってしまったとしたら、なんともったいないことでしょう。たとえ天国に行ったとしても、悔いが残るでしょう。私たちの人生は、神からいただいたものを自分だけのために使うのではなく、神のために使うためにあるのです。神のために使うというのは、具体的には「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」ということです。そのとき、与えられた1ミナ・1タラントは本当に生きた働きをするのです。私の隣人とは誰か?それは、まず伴侶であり、子、親です。そして、職場の同僚であり、近所の人かもしれません。また、教会の人でもあるでしょう。何らかの理由であなたの人生に関わり合いができた人。または、全く見も知らない遠くの国の人かもしれません。みんながマザー・テレサにならなくて良いのです。与えられたタラントに応じて、少しでも自己中心という狭いカラからはい出して、人を愛する、赦す、人のためを思って行動する。そのとき、私たちは神が私たちのために用意してくださった人生を本当の意味で良く生きたことになるのです。

2010年第2回礼拝説教

日曜日, 1月 24th, 2010

こんな1年にしたい!(2)

使徒の働き 20:35b

元気な信仰生活の秘訣

  • どんな1年にしたいですか
  • 「なる」と「する」
  • どんなことが起きようと、それに対する私たちの態度は私たちの意思で選択できる
  • 喜びに満ち、力あふれる信仰生活に不可欠なのは

1.愛される・もらう vs. 愛する・与える

  • 愛されるのと愛するのではどちらが幸せ?
  • 愛されるだけで愛せなくても幸せ?
  • 愛されなくても愛する対象を持つ(片思い)幸せ?
  • 愛し、愛されるのが最高、だけど、、、
  • 使徒の働き 20:35b 『受けるよりも与えるほうが幸いである』

2. 愛を要求することはできない

  • 教会は愛のあふれるところ、クリスチャンは愛のあふれる人
  • だから、私を愛してくれて当然?
  • 私たちは、愛する者、赦す者、与える者になるべき
  • しかし、だからといって人がそれを要求することはできない
  • 愛は権利行使によって請求できるものではないから
  • 恩着せがましいのも愛ではない
  • 愛は物・お金と違って貸し借りができないものだから
  • 借金取りはいやがられる
    • 「愛されて当然」「あなたは私に借りがある」 というのは借金取り

3.愛されることを追い求めると、愛は逃げていく

  • 愛の逆説
  • もらおう、もらおうとする人は周りの人に負担感を与える
  • 心が「(愛を)もらいたい」モードになると、おもしろくない、不機嫌、不満、不幸せ
  • 『(愛を)与えたい』モードになると、心が軽くなる、楽しくなる、幸せになる

4.愛する者、与える者の幸せ

  • 愛する対象を持つ人は幸せ
  • 愛せるだけで喜びがある
  • 愛のある人の周りには人が集まる
  • 愛の連鎖を始めよう
  • 最初に始めてくださったのが神
    • 第1ヨハネ 4:19 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
    • ローマ 5:7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。 5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

2010年第1回礼拝説教

日曜日, 1月 24th, 2010

こんな1年にしたい!

詩篇103篇、創世記3章12-13、ヨハネ5章1-16

元気な信仰生活の秘訣

  • どんな1年にしたいですか
  • 「なる」と「する」
  • どんなことが起きようと、それに対する私たちの態度は私たちの意思で選択できる
  • 喜びに満ち、力あふれる信仰生活に不可欠なのは

1.感謝と賛美

  • 詩篇103:1-14
  • 『主をほめたたえよ』
  • マルコ 12:30 「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」
  • 賛美する対象を持つ人は幸せ - 賛美される側ではなく、賛美する側が幸せ - ただし、その対象を間違うと大変なことになる
  • 「すべての病をいやし」
  • すべての病は神が作られた免疫システムが治す。医師・薬はその手助けをするに過ぎない
  • 『あなたのいのちを(墓)穴から贖い』
  • 人は100%死ぬ存在。死後への答えを持たない人の人生にはぽっかりと穴が空いている。
  • 『私たちの罪に従って私たちを扱うことをせず』
  • もし罪に従って扱われたら誰も神の前に立ち得ない
  • 『あなたに恵みとあわれみとの冠をかぶらせ』
  • ふさわしくない者、その権利のない者に一方的に与えてくださる神

2.人のせいにしない

  • 創世記 3:12-13
  • 罪(自己中心)のゆえに人のせいにしたがる
  • 小さな子どもにもよく見られる - 大人になっても相変わらずやってしまう
  • 自分は悪くない - あの人が悪い - 自分は変わる必要がない - 成長の芽を摘む
  • 変わるのには大きなエネルギーが必要 - そんなしんどいことをしないで済むために、人のせいにしたい
  • 自分の非を認めたら小さな自尊心が傷つく
  • 人のせいにしている限り、成長できない
  • 自分の幸せの責任は自分で取る
  • 何度も離婚を繰り返す人 - 今度こそ。しかし、自分が変わらない限り幸せな結婚はできない
  • ヨハネ 5:1-16

2009年12月20日第51回礼拝

土曜日, 12月 26th, 2009

クリスマス(2)
クリスマスツリー
ルカ 2:8-20、創世記 3

1.クリスマスは何の日?

  • 喜ばしい日
  • 幸せの日
  • 贈り物の日
  • イエス様が忘れられているのは2000年前も同じ

2.クリスマスツリー

  • 天使
  • りんご
    • アダムとエバが食べた禁断の実
  • もみの木
    • エデンの園にあった善悪の知識の木
    • 十字架

3.罪

  • 神がなんと言おうと、自分で善悪を決めたい
  • 自己中心が壊すのは
    • 人間と神との関係 (神を愛せなくなる)
    • 人と人との関係 (隣人を愛せなくなる)
    • 肉体の死、関係の死

4.罪をおおう犠牲的な愛

  • 自分に逆らったアダムとエバはエデンの園を出なければならなかった。
  • しかし、神様はかわいそうに思い、獣の皮で衣が作られた
  • アダムとエバの裸を覆うために、初めて罪のない獣が殺された。
  • 自己中心の罪の報いから解放するために神自らが犠牲となった。
  • 自己犠牲のない愛はない
  • 人として貧しさの中に生まれ、人としてのあらゆる苦労を体験してくださり、最後は私たちの代わりに十字架にかかってくださった。
  • 息子の代わりにむち打ちの刑を受けた酋長の話

5.招かれたのは羊飼いたち

  • すべての人によい知らせ
  • 品行方正の人、高い地位の人、権力・富のある人だけでなく
  • 神のあわれみはいらない、自力でやっていきます、という人ではなく
  • むしろ、自分には救い主が必要だと自覚している人たちのために
  • 受ける価値のないものに一方的に与えられるのが恵み

6.自己中心の罪の呪いを打ち破る自己犠牲の愛

  • 自己中心は決して満ち足りた人生をもたらさない
  • 感謝を知らなければ決して満ち足りた人生を送れない
  • 神様の犠牲的な愛を知り、感謝を持って毎日を過ごす
  • 神は私さえも愛し、赦し、受け入れ、犠牲を払ってくださった。
  • だから私もあの人に少しだけ優しくなれる、忍耐できる、赦すことができる、犠牲を払っても愛することができる

2009年12月13日(日)礼拝説教

日曜日, 12月 13th, 2009

クリスマス(1)
そこにも神がおられる
ルカ 1:26-56、マタイ 1:18-25、ルカ 2:1-21、マタイ 2:1-23

1.処女降誕

  • イエス様以外に人の手によらず生まれてきた人は誰と誰?
  • ルカ1:37 「神にとって不可能なことは一つもありません。」

2.マリアの祝福と苦難

  • ルカ 1:28 御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
  • ルカ1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。
  • ルカ 1:45 主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」
  • マタイ 1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
  • マリアは祝福と共に苦難をも引き受けた。

3.ヨセフの祝福と苦難

  • マタイ 1:19 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。 1:20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。 1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」 1:22 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。 1:23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。) 1:24 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、 1:25 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。
  • ヨセフも祝福と共に苦難を受け入れる覚悟をした。

4. ヨセフとマリアの逃避行

  • ヘロデ大王(在位 BC37-4)
  • アケラオ
  • マタイ 2:13 彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現れて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」 2:14 そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、 2:15a ヘロデが死ぬまでそこにいた。
  • マタイ 2:19 ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが、夢でエジプトにいるヨセフに現れて、言った。 2:20 「立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちをつけねらっていた人たちは死にました。」 2:21 そこで、彼は立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に入った。 2:22 しかし、アケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行ってとどまることを恐れた。そして、夢で戒めを受けたので、ガリラヤ地方に立ちのいた。

5. そこにもおられ、導いてくださる神

  • 救い主の育ての親となる祝福を受けたマリアとヨセフ。しかし、結婚前にできた子を育てる苦労は容易に予想できた。
  • 救い主を育てるという大役を神から直接任された。にもかかわらず、ヘロデ大王とその子アケラオから命からがら逃げなければならなかった。
  • しかし、神はふさわしいときに、ふさわしい導きを与え、この家族を守ってくださった。
  • ヘロデから命からがら逃げている渦中にいるマリアとヨセフにとって見れば、神の祝福よりも、危険に対する不安が強かったかもしれない。
  • その時その時に現実に起こっていること、また常識的に考えてこれから起きそうなことを思うと、とても不安になる。それは私たちに神の大きな計画、神の御手が見えないから。私たちの目は近視眼。
  • 神の大きな祝福を受けたことはわかっていても、目の前の現実を見ると、疑いが出てくる、神様に訴えたくなる。
  • しかし、神はいないのではない、見ていないのではない、聞いていないのではない、傍観しているわけではない。
  • 必要なとき、神の時に、ふさわしい導きと助けを与えてくださっている。
  • 大いなる神の祝福の中にいても、命からがら逃げなければならないときもある、走らなければならないときもある。しかし、その時も神がともにいて、働いておられることを忘れてはならない。
  • だからどんなことがあっても大丈夫。目の前の現実がどうであれ、神が私と共にいらっしゃること、導いてくださることを信じて、走り抜こう。

第51回礼拝:2008年12月14日 クリスマス(1)

日曜日, 12月 14th, 2008

12月7日メッセージ(「感謝の力」)の復習
*いつも喜んでいるためには、感謝が不可欠
*感謝は力
*祝福を感じないときは、感謝を忘れているとき。あらゆる機会を捉えて感謝しよう。どんなときでも神に感謝しよう。神は常に最善をなしてくださるのだから。(ローマ8:28 神がすべてのことを働かせて益としてくださる)
*自分の思うように行かないときこそ感謝。
*感謝できることに感謝。
*エペソ 5:20 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。

1.系図
*娼婦あり、不倫あり、殺人者ありの系図
*どろどろとした人間の中に来てくださった
*人間の失敗や悪さえも良いものに変えてくださる神

2.神の子に対してなした恐ろしい所行
*その気になれば私たちを永遠に地獄の火で罰する権威を持つ神の子に対し人は何をしたか。
マタイ 26:67 そうして、彼らはイエスの顔につばきをかけ、こぶしでなぐりつけ、また、他の者たちは、イエスを平手で打って、
27:23 だが、ピラトは言った。「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ」と叫び続けた
27:26 そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。
27:30 また彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたいた。
27:35 こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、
27:40 言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」
*後で真実を知った人たちは震え上がり、気も失わんばかりだったでろう

3.十字架の奇跡
ルカ 23:34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
*神の子である自分を侮辱し、つばきをかけ、殴り、むち打ち、十字架にかけた人間に対し、イエス様の心の中にあふれていたのは呪い・憎しみではなくあわれみ・愛
*そのあわれみ・愛によって十字架上で私たちの罪の呪いを全部引き受けてくださった。
イザヤ 53:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。 53:5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。 彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。 53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
*十字架という人間が犯した最悪の失敗を最高の恵みに変えてくださった

4.神がこれほどまで犠牲を払って私たちと和解をしてくださったのなら、何を恐れることがあるだろう
*何があっても大丈夫、イエス様がついていてくださる
*すべてのマイナスはプラスに変えられる
ローマ 8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

5.神様からあなたへの直接の贈り物
*無料です、でも安くはありません。
*神が大きな犠牲を払って用意してくださったものです
*私たちができることは、ただただ感謝していただくことです

第47回礼拝(2008年11月16日):喜びましょう – ピリピ人への手紙4章4節から11節

日曜日, 11月 16th, 2008

1.喜びは感情ではなく、態度
*100歳のおばあちゃんの元気で長生きの秘訣
   「わたしは、朝起きてからずっと喜んでいることに決めているんです。」

2.喜ぶのには根拠がある
*どんなことがあっても大丈夫。父なる神様がついていてくださる。
*イエス様を知れば知るほど、喜ぶのが容易になる
*詩篇118:24 これは、主が設けられた日である。
 この日を楽しみ喜ぼう。

3.喜びのないクリスチャンは、もったいない!
*せっかく神様が大きな犠牲を払って私たちに喜びの人生を用意してくださったのだから。
*ネヘミヤ 8:10 主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。

4.喜ぶ態度は、喜びをもたらす
*「喜んでいれば、喜びが、喜び連れて、やって来る」

5.つらい状況があっても、喜ぶ理由がある
*目に見える状況を超えて信じ、喜ぶのが信仰。
*ハバクク3:17 そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、
 ぶどうの木は実をみのらせず、
 オリーブの木も実りがなく、
 畑は食物を出さない。
 羊は囲いから絶え、
 牛は牛舎にいなくなる。
3:18 しかし、私は主にあって喜び勇み、
 私の救いの神にあって喜ぼう。
3:19 私の主、神は、私の力。
 私の足を雌鹿のようにし、
 私に高い所を歩ませる。

ピリピ 4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。
4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

37th Worship Service

土曜日, 9月 20th, 2008

Gospel Home “Glory”
7 September 2008 37th Worship Service
216-2 Mikubo, Aso TEL0967-32-2563

God is not fair!?
Matthew 20:1~16

Have you ever wondered if God is unfair? Or has anyone around you accused God of being unfair? Like, if God is just and full of love, why is there so much suffering and injustice in the world? Why is there such widespread poverty, children dying of hunger and curable diseases, wars and genocide, ethnic cleansing?

Why is Jesus the only way to heaven? Aren’t there so many good people who believe in other religions or even no religion? Why doesn’t God reward good people and punish bad people? Why even among Christians, some very faithful people suffer a lot, and even dye prematurely?

If God is God of love and justice, why do these things happen?

When we ask this question, we are in the seat of judge. We believe we have the right to judge the creator of the universe.

Now let’s turn to today’s passage. This is one of those parables that make us wonder what on earth Jesus intended to tell us. But often times these parables hide beneath their surface the greatest truths about God and the kingdom of heaven.

Here the householder is God, and the workers are us. That’s easy to see. The householder gave the first workers, who worked for 12 hours, a denarius. A denarius is a typical wage for a day’s work. Let’s say that is about 100 dollars. Then, that is about 8 dollars per hour. The last workers, who worked only one hour, also received 100 dollars. One hundred dollars per hour! No wonder those who worked 12 hours complained! Wouldn’t you? When you are in a position to pay to others, you wouldn’t dream of doing such thing, would you? Otherwise, you would surely be accused of being unfair.

What is the point of this parable? Is God unfair? Is he capricious? What did he himself say? In verse 15, he says, “Am I not allowed to do what I choose with what belongs to me? Or do you begrudge my generosity?”

The kingdom of heaven operates under a very different system from our world. Those who are rich, powerful, beautiful, talented, smart, are valued and rewarded. Those who are poor, weak, unattractive, simple, are despised and unrewarded. In our world, more work, more pay, less work less pay. If we work, we expect to be paid. We have a right to claim a reward for our work. We deserve a reward for what we have done.

But in God’s kingdom, our achievement counts very little. And we must be very thankful for that. Because if the kingdom of heaven operates under the right and reward system, we all owe to God far too much more than we can claim reward from Him. Our sin is far greater than whatever we have achieved for God.

The good news is that God has decided to let His son pay for our debt of sin, and let us off the hook of penalty. Why, because He loves so much. When acknowledge what God has done for us through Jesus, we receive a ticket to heaven. It’s not because, we earned it or deserve it, it’s all because of God’s generous love, which called grace.

We need to remember this important principle in God’s kingdom, which appear again and again the New Testament. In the verse 16, Jesus says, “So the last will be first, and the first last.” Those who think they are the first—think that they deserve to go to heaven, they deserve to receive a reward—watch out! You will be the least in the kingdom. You don’t deserve anything in the kingdom of heaven. It’s all God’s grace. Those who are the last—those who know their weakness, their sinfulness, their helplessness, their dependence on God’s grace—welcome to God’s kingdom. It is for such people.

Why did the householder deliberately pay the last workers first, and the first workers last? Jesus wanted us to know exactly where we stand in our relationship with God. Who we are and who He is.

Do you feel weak? Do you feel your faith is not as solid as it should be? Acknowledge that your faith is dependent on God. It is not on your strength.

God is the God of love. He seeks his sheep until the last hour. The workers in this parable were not seeking Him. But He went after them, and invited them to come to Him. We are all invited and we can receive what we can never earn or deserve.

Let’s pray.

Communion
At this church, everyone is encouraged to participate in the communion if they have confessed their faith in Jesus as their personal savior. If you have not, we ask you to wait until then so that the communion will be truly meaningful to you.

Matthew 26 [26] Now as they were eating, Jesus took bread, and blessed, and broke it, and gave it to the disciples and said, “Take, eat; this is my body.” [27] And he took a cup, and when he had given thanks he gave it to them, saying, “Drink of it, all of you; [28] for this is my blood of the covenant, which is poured out for many for the forgiveness of sins.

第34回礼拝(2008年8月17日):結婚(3)第1ペテロ 3:7

日曜日, 8月 17th, 2008

1.先週の復習

◆互いに相手のこと、この結婚のことを自分より優先させる
◆妻は助け手として夫の権威をささえる
◆夫は、犠牲的な愛を持って妻を愛する

2.「わきまえる」

◆正しい知識・認識を持つ
◆男性と女性の違い

☆相手に何を望んでいるのか
☆どうしたら愛されていると感じるか

3.「自分より弱い器」

◆身体的
◆情緒的

☆感情的豊かさ
☆感情的不安定

4.夫の権威と責任

◆権威には責任・義務が伴う
◆度量
◆妻に謝るのなんか怖くない!

☆強いから謝れる

5.怒りを持ち越してはならない (マタイ 5:23-24, エペソ 4:26-27)

◆小さな問題が大きくなる
◆できるだけ早く話し合う
◆執念深さは、傷を深くする

☆過去を持ち出さない
☆悪魔につけいるすきを与えない

6.互いに相手を尊敬し、愛し、赦し合いなさい

◆いのちの恵みをともに受け継ぐ者として
◆神を愛するとは、隣人を愛すること

第1ペテロ 3:7 同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。
LIB 3:7 同様に、夫も、妻を心にかけてやりなさい。 いつも妻の気持ちを察し、女が男よりも弱い者であることを意識して、いたわってやりなさい。 神様の祝福は、妻と共に受け継ぐべきものだと心得なさい。 もし妻に対する態度が誤っていれば、あなたがたの祈りは、むなしくなってしまいます。

マタイ(LB) 5:23 ですから、神殿の祭壇に供え物をしようとしている時、何か友達に恨まれていることを思い出したら、 5:24 供え物はそのままにして、相手に会ってあやまり、仲直りすることです。 神に供え物をするのはそのあとにしなさい。

エペソ(LB) 4:26 腹を立てることがあっても、恨みをいだいて罪を犯してはなりません。 日暮れまで、怒ったままでいてはいけません。 すぐに冷静さを取り戻しなさい。 4:27 腹を立てていると、悪魔につけ込むすきを与えるからです。

第1ヨハネ 4:20 神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。

ガラテヤ(LB) 5:13 愛する皆さん。 あなたがたは自由を手にしているのです。 それは、悪を行なうための自由ではなく、互いに愛し合い、仕え合うための自由です。
5:14 なぜなら、おきての全体は、「自分を愛するように他の人を愛しなさい」という一つの命令に要約されるからです。 5:15 しかし、互いに愛し合わず、いつもいがみ合ったり、非難し合ったりしているなら、結局、共倒れになってしまいます。 気をつけなさい。 5:16 あなたがたにお勧めします。 ただ聖霊様の導きに従いなさい。 聖霊様は、どこへ行くべきか、何をなすべきか教えてくださいます。 そうすれば、自分の悪い性質のおもむくままに悪事に走ることがありません。