何を求めているのか (ヨハネによる福音書第1章35~39節)

2010年5月9日(野外礼拝) 説教要旨

   あなたは何を求めて生きているでしょうか?経済的にゆとりがあり、家族が仲良く、健康で、仕事や学業でもそれなりに成功をおさめている。確かにこれらのことは望ましいですし、達成するのも決して簡単ではありません。一方、これらだけでは満足できないという方もいらっしゃるでしょう。もっと自分の存在意義を感じたい、生き甲斐を感じたい。今は良くても将来が不安だから安心感を持ちたい。そういった心の飢え渇きのようなものを持っていらっしゃるかもしれません。
   イエス様に対してはどうでしょう?すでに信仰を持っている方、持ってはいないが興味がある方はイエス様にどんな期待をされているのでしょう?健康、お金、人関関係などに関する問題の解決。充実した、意義ある人生。将来に対する、また死に対する心の平安。心の支え。正しい選択をするための強さ。
   私たちは毎日を生きることで精一杯で、ともすると自分が「本当に」求めているものを見失いがちです。イエス様はご自分のもとに来る人々に対しときどき問われます。あなたは何を求めているのですか。すなわち、私に何を期待しているのですか?あなたの本当の問題は何ですか?あなたの本当に捜しているものは何ですか?あなたが本当に必要としているもの何ですか?それが何であれ、ご自分を真剣に求める者に対しイエス様は「来なさい。そうすればわかります。」と言って招いてくださいます。
   来て私とじっくりと時を過ごしなさい。私の話を聞き、私のすることを見、共に食事をしなさい。そうすれば、私のことがわかります。ある人達は、十分に理解してからイエス様の元に来ようとします。しかし、イエス様とふれあうことなしにイエス様のことをわかることは出来ません。聖書と通してイエス様を知的に理解するだけでなく、イエス様に私たちの日々の生活の中に来ていただいて、お言葉をいただき、愛され、励まされ、力をいただき、平安をいただく。そういったことを通して、イエス様のことがリアルにわかるのです。
   イエス様は、私たちに平安を与えると約束してくださっています。この平安は、自分に対する平安、人との関係における平安、そして神との関係における平安です。この世が与える平安は条件付きです。経済状況や健康、成功失敗その他の外的要因によっていとも簡単に崩れ去る可能性を常に持っています。しかし、イエス様が与えてくださる平安は環境が変わっても変わることのない絶対的な平安です。