復活(2) ヨハネ20:24~29

 今日の聖書箇所はイエス様の12使徒の一人トマスという人の物語です。この人は、欧米圏では疑り深い人の代名詞として使われています。彼はほかの使徒からイエスが復活なさったということを聞いても信じられませんでした。この自分の目で見、手で触ってみなければ決して信じないと言ったのです。そんなトマスにもイエス様は現れてくださり、「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」とおっしゃったのです。伝承ではこのトマスはその後インドにまで行って布教したと言われています。

 イエスの復活を簡単に信じられなかったのはトマスだけだったのでしょうか。実はほかの使徒たちや弟子たちも同じだったのです。そのような者たちに復活したイエスは、繰り返し現れ、名前を呼び、語りかけ、食事を共にしてくださったのです。その復活したイエスとの親しい時を過ごす体験を通して、確かにイエスは復活され、生きていらっしゃる、という確信が生まれたのです。私たちの信仰も同じです。見ずに信ずることは難しい。でも、信仰とは見えないものを信ずることにあるのです。そして、この目には見えないイエスを信頼してすがり、そして助けていただく経験を積み重ねていくとき、私たちも確かにイエスは生きておられる、という実感を持つようになるのです。

 わたしもそのようにしてイエス様に助けてもらってきました。自分の力ではどうしようもない、人の力でもどうしようもない、そういった状況で「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28章20節)という約束を信じ、現実はどう見えようとも、何があっても大丈夫だ、という励ましをいただき乗り越えてきました。これがわたしの信仰の財産です。しかし、そういった体験をした後でも疑いが起こり、信仰が無くなったときも何度もありました。しかし、それでもイエス様はわたしを見捨てられなかった。何度もわたしを引き寄せてくださった。そうして、信仰を保ってきました。わたしが賛美を捧げるとき、感謝を捧げるとき、日々の生活で導きを受けるとき、自分を不幸にする罪の誘惑を退ける力を与えられるとき、わたしは復活のイエス様に出会い、見ずに信ずる者の幸いに預かるのです。