イエス・キリストは偉大な人物?ヨハネ第1章1~18節

2010年5月2日 10時半 第18回礼拝

 昨晩はテレビで映画「ダ・ヴィンチ・コード」をやっていて、私は最後の1時間だけ見ました。この映画そして原作は世界各国で大変な人気となりました。しかし、キリスト教の伝統の強い国では大きな物議をかもしました。なぜかというと、イエス・キリストはマグダラのマリヤと結婚して子供をもうけ、その家系が現代まで続いているという主張をしているからです。そして、それが事実ならばイエスは神ではなくただの人であり、長年カトリック教会はその事実をひた隠しにしてきたというのです。映画の最後で主人公のラングドンがこう言います。「イエス・キリストがただの人だったのか神だったのかはわからない。でもはっきりしていることは彼は偉大な人物だったということだ。」イエスが偉大な人物であったということを認める人はキリスト者でなくても大勢います。そしてイエス様を信仰する私たちキリスト者としては、少し嬉しい気持ちにもなります。しかし、ナルニア国物語を書いた作家であり、神学者であるC.S.ルイスはこう言っています。「イエスは偉大な人物であったが神ではなかったという主張は出来ない。私たちに出来るのは、イエスはただの人であり、偉大な人物ではなかった、それどころか大嘘つきか誇大妄想狂であった、と結論する。さもなければ、イエスは偉大な人物であり、救い主であり、神であった、と認める。そのどちらかの選択肢しか私たちにはない。」イエスは数々の奇跡の業を行っただけでなく、弱い人たちをあわれみ、同時に自分たちの罪に気づかない宗教指導者達を厳しく叱責しました。「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。あなたがしてもらいたいように人にもしなさい。あなたの敵を愛しなさい。」などかずかずの珠玉の教えを残され、それをご自分でも実行されました。しかし、それだけではありません。イエスは、ご自分を神と主張されました。もしだれかがどんなに立派なこと、偉大なことを成し遂げても、たとえ愛のために人の代わりに犠牲となっても、もしその人が自分のことを神だと主張したら。これは、誇大妄想を疑われて当然です。どんな教会に行っても、そこで牧師が私は神ですと主張したら間違いなくその教会は異端(カルト)です。しかし、イエス様は確かに神であられた、そして永遠に神です。キリスト者は、イエス様をご自身が主張なされたとおりキリスト(救い主)そして神であるとして信じ、それによって生きる者です。

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