あなたを生かす光の言葉 ヨハネによる福音書第1章1~18節

2010年4月18日 10時半 第16回礼拝

 神様ってどんな方だろう。そんなことを考えたことはありませんか。広大な宇宙に整然と天体が運行していることを知るとき、雄大な自然を見るとき、私たちは自分の小ささを感じ、これらを造られた方がいらっしゃるのではないかと感じさせられます。また、私たちの身体がいかに複雑、精巧に出来ているかを知るとき、とても偶然の産物とは思えません。しかし、こうして創造主の計り知れない叡智と力を垣間見ることは出来ても、それはやはりぼんやりとした抽象的ものにならざるを得ません。神は時間と空間を超越して居る方ですが、その神の一人子であるイエス・キリストが2000年前、人となりこの地上に来てくださいました。イエス様は、わたしを見なさい、そうすれば神様がわかるよ、とおっしゃいました。新約聖書にはこのイエス様のことば、行動が記録されています。このイエス様は数々の力ある業をおこなっただけでなく、ご自分を十字架につけた人たちのために「父よ彼らをお赦しください。彼らは何をしているのかわからないのです。」と言って取りなしてくださった方です。自分をこれほどまでも憎む者さえもあわれみ、愛するお方、それがあなた方を造った神なのだ。自らを犠牲にしてもあなたを愛する方、それが神なのだ。そう、イエス様は教えてくださっているのです。
 人にとって暗闇というのは、本当に恐ろしいものです。右も左もわからない。何が待ち受けているのかもわからない。しかし、そこに光が差し込むと闇に覆われていたものが明らかになります。私たちの人生でも闇に入り込むことがあります。そうした人生の闇の中にともしびとなり、闇を追い払ってくださるお方がイエス様です。「わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。」(ヨハネ12:46)。しかし、闇は私たちの心の中にもあります。イエス様は、私たちの心の中を光で照らし、私たちが隠しておきたい、または気づいていなかった罪を明るみに出してくださいます。誰もが持っている自己中心という罪。それは、私たちの人間性を貧しいものにしています。私たちの愛のなさ、無慈悲、自分勝手、高慢、怒りっぽさ、ねたみ。イエス様はそれらを明るみ出すだけでなく、それでもそのままであなたを愛しているよ、とおっしゃるのです。ですから、私たちは素直になれるのです。
 イエス様はことばなる神と書いてあります。創世記を見ると神様はことばを通してすべてのものを創造されたと書いてあります。神のことばには、創造の力があるのです。私たちは数多くの否定的なことばに囲まれて暮らしています。上司からの心ないことば、教室でのいじめのことば、メールやネット上での中傷・非難、家族の間でさえ互いに傷つけ合うことばが飛び交っています。本当に恐ろしいのはそれらのことばが私たちの心の中のことばとなって私たちを責め、否定し、落ち込ませてしまうことです。しかし、神のことばはいのちある光のことばです。恵みとまことに満ちています。この神のことばを宣言することによって私たちは、否定的ことばに対抗し、打ち負かすことが出来るのです。