第22回礼拝 よい畑にまかれた種

第22回礼拝 2008年5月25日

よい畑にまかれた種

マタイ13:1~23

1.みことばの種

2.私たちの心に根を下ろす種

3.弟子たちの心の畑

4.種を成長させてくださるイエス様に望みを持とう

ヘブル 4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。

詩篇 1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。

1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は何をしても栄える。

第1コリント 13:6 イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。

13:7 そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』

13:8 番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。

13:9 もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」

ヨハネ 3:14 モーセが荒野で舵を上げたように、人の子もまた上げなければなりません。

3:15 それは、信じるものがみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」

3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。